エマ・ドナヒューがいそがしい
拙訳書『星のせいにして』『聖なる証』の著者エマ・ドナヒューは、いつも忙しい印象ですが(多作)、最近またかなり動いている。ダブリンで『星のせいにして(原題The Pull of the Stars)』のお芝居が始まるのが大きいかもしれない。そして『星のせいにして』次作の『Haven』がダブリン文学賞のショートリスト入りしている。
『Haven』のあらすじを簡単に紹介。
7世紀アイルランド。クロンマックナス修道院では復活祭のための断食が行われていた。その夜、修道士アートは夢を見る。ふたりの修道士を連れて、無人島で信仰の場を築く夢だ。過酷なミッションに選ばれたのは、若き修道士トライアンと初老の修道士コーマック。欲にまみれた俗世を捨てて、3人がたどり着いたのは、数々の渡り鳥たちが棲む岩だらけの無人島シュケリッグ・ヴィヒル島だった。飲み水もシェルターもないこの島で、3人はどう生き抜くのか。極限の状態に追い詰められた3人が見たものとは……?
カナダ作家マーガレット・アトウッドも激賞しており、コメントを寄せている。
「圧力鍋に閉じ込められたような緊迫感と、極限の孤立を体感せよ。崇高なる祈りとは? 美徳とは? 予想を裏切る展開があなたを待っている」
ドナヒューの作品を読んでいる人は、「信仰」というテーマを彼女が頻繁に扱うことにお気づきだと思う。女性の人生における「信仰」、もしくは「信仰」に抑圧される女性というフレーミングだったのが、この作品では女性は一切登場しない。ただ、そこはドナヒューなのでジェンダーのことを今までとは違う形で持ってくる(物語のコアの部分でネタバレになるので書けないが)。
この作品はとくに荒々しい自然の描写が素晴らしく、読みながら孤島を歩いている気持ちになったよ。でもちょっと怖いんだよ(ドナヒューだからね)。この人、壁も天井もない孤島を「密室」にしちゃうんだよ。「ここから出して――――!!!」ってやっぱり最後はなっちゃうんだよ。
せっかくなので原文210ページの拙訳をご紹介します。
(拙訳はじまり)
クロンナックス修道院の木立で、木の葉が落ちる音が聞こえる。秋風の渦に舞うのは、黄と褐色の落ち葉だ。季節の変わり目を告げるのは、鳥たちの旅立ち。もしくは、乾いて朽ちていく小さな花々。オオツメクサのピンクの点々や、マンネンソウの白い星々。シカギクのしおれた花、スイバの赤銅色の柱、モクアオイの紫の蕾。すべてが朽ちて、灰色と緑だけの景色が戻ってくる。
海台にあるナナカマドだけは違っている。葉の色は変わっていたが、頑固に踏ん張っているように見える。トライアンを勇気づけるように、真っ赤な実をたくさんつけ続ける。どんよりとした土地に生えているのに、どうしてこんなにも美しい色を生み出せるのか、トライアンには分からない。トライアンはその赤い実を、コーマックが玉ねぎを乾かしているまあるい屋根の石の間に置く。寒い夜にはこの屋根の下を寝床にするようにと、院長に指示された場所だ。外套にくるまって、三人は並んで眠る。まるで同じ墓穴に入った死人のように。
トライアンはある霧の深い湿った朝に、ナナカマドのぐねりとした幹の下に座り、彼女のしなやかな枝に彼の腕を絡める。乾いた幹の表面のひびに、トライアンは指先で触れ、彼女からの贈り物に感謝する。赤い実だけでなく、彼女の粘り強さと、その美しさにも。彼女がどのようにその体を曲げ、耐え続けるのか、トライアンは知りたい。
「何をしているのだ」
トライアンはよろよろと立ち上がる。「祈っていたのです、神父さま」。真実だが、トライアンにはそれ以上、どう言葉を継ぐべきか分からない。
「写経に戻るのです」と院長が命じる。
トライアンは院長から距離をとって、写経台へと向かう。すでに手の平が痛む。
(拙訳終わり)
ついでに、エマ・ドナヒューについても紹介します!
エマ・ドナヒューは一九六九年アイルランド生まれ。ケンブリッジ大学博士課程修了。現在はカナダオンタリオ州ロンドンにパートナーとふたりの子供と暮らす(現在はパートナーのサバティカル中でフランスに住んでいるという情報も)。
歴史書や伝記、おとぎ話、劇・映画脚本など多ジャンルに渡り作品を発表している(ここで作品名をあげて紹介するのは本当に一握りです。全リストは著者ホームページからどうぞ)。
2009年刊行『封された手紙』(未邦訳)はラムダ賞を受賞。
2010年刊行『部屋』(土屋京子訳 講談社文庫)が「ニューヨークタイムズ・ベストブック」に選出され、マン・ブッカー賞の最終候補選出。
※後に映画化された際には脚本を担当し、アカデミー賞四部門ノミネート。
2016年刊行『The Wonder』は2023年秋『聖なる証』と題してフローレンス・ピュー主演で映画公開(ドナヒュー脚本担当)。
※翌年オークラ出版より同じタイトルで翻訳版刊行(拙訳)
2020年刊行『星のせいにして』(拙訳 河出書房新社 2021年刊行)は今春ダブリンで劇場公演予定、映画化に向けても動いている。
2022年刊行『Haven』が今年のダブリン文学賞の最終候補入り(未発表)。
2023年夏刊行の『Learned by Heart』でアン・リスターとエライザ・レインのレズビアン・ロマンス&ヒューマンドラマを描ききる。絶対に映画化されるとわたしは思っています。
最近の動きでとてもうれしいのは、『星のせいにして』でキャスリーン・リン医師が再注目されるようになったことをきっかけに、彼女の手記が出版されたり、アン・リスター研究会にドナヒューが招かれ、彼女の日記の出版が盛り上がっていることなど、彼女が物語として書くことでどんどん波を立てているのが素晴らしいなと思う。
☆日常ブログも更新中です。先週は街歩きとハイキングのことを書いたよ。