ZINE「Maggie Pie」は少しずつすべてオンラインで読めるようにしたいのですが、まずは最初のひときれを共有したいと思います。
今回は自分で朗読した音声もはります。言い間違いの多い、下手くそな朗読ですが、もし必要な方はご利用ください。じょじょに上手になれたらいいな。
音声はこちらから
1. マギーとの出会い
サウスダコタ州パインリッジインディアン居留区(パインリッジ・リザベーション)に向かう車内で、わたしは恋に落ちた。
その人はフォークで小さな森をつくるアーティストで、着古したミリタリージャケットにたくさんのパッチを付け、赤いタータンチェックのズボンをはいていた。その人の名前は、両親が彼に残した唯一の物だと付き合ってから半年ほどして教えてくれた。彼は物心つく前に、もうひとりの女の子(今では彼の妹)といっしょに里親に引き取られたのだそうだ。
わたしたちの最初のデートはハロウィンで、わたしは黒猫のかっこうをして、エドガー・アラン・ポーの大鴉のピアスをつけていった。それ、すごくクールだね、と彼が言って、その夜から毎晩いっしょに過ごすようになった。彼の部屋には、たくさんの銃やガスマスクのレプリカがあった。ホラー映画やゾンビ映画をたくさんいっしょに観た。
クローゼットは狭くて暗くて、ひとひとりが隠れるにはちょうどいいくらいの大きさだったから、ハウスメイトたちが帰ってきて、居留守を使いたいときはそこに入ってじっとしたり、キスをし合ったりしたけれど、ときどき誰かが潜んでいるような気配がしてあまり好きになれなかった。
ある日、彼がシャイアン郡にある草原に連れていってくれた。車のトランクには、たくさんの銃が、本物の銃が積んであった。それに、パンプキンも。ハロウィンのとき、軒先にのさばっていたふとったパンプキンのお化けたちが草原に並べられて、悲しそうな顔をしていた。トリガーを引くと、十メートルくらい先にあったパンプキンがはじけた。腕をピンと伸ばして撃つピストル、衝撃を肩で受け止めるように構えて撃つ大きな銃、試せるだけの銃を撃ったけれど、急に怖くなって、体の震えが止まらなくなった。弾はホームセンターで簡単に買えた。釘を買うくらい簡単に。
モーニングアフターピルも簡単に買えた。ある朝、ハウスメイトたちがクリニックに連れていってくれて、子供が生まれたらずっとここにいることができるかもしれないというわたしを叱りながら、薬を飲ませてくた。その朝以来、わたしは三人のハウスメイト、エイミーとカーリーとシェリーといっしょに時間を過ごすようになった。
わたしたちは尊厳の複数「We」を主語に話をした。話すときいつだって主語は「I」ではなくて、「We」だ。たくさんの詩を読み、物語を作り、夜な夜なジャケットにパッチを縫い付けた。「反戦」とか、「NO NUKES」とか書いてあった。暖炉でマシュマロを焼いて、ジャックダニエルズのボトルを回し飲みする夜が、わたしは大好きだった。知っている人も知らない人も出入り自由。みんなでザ・デビル・メイクス・スリーの「オールド・ナンバー・セブン」を大合唱した。
留学生活も残すところあと三か月になったある朝、わたしはしぶしぶバスに乗った。その日は世界文学の講義があり、なぜか日本文学の代表作に三島由紀夫の『憂国』を選んだ教授に会わなければならなかった。翻訳作品であっても、その国のオーセンティックな発音を身に着けることはその文学を理解するうえで一番大事だと彼女は言ったけれど、何度も繰り返し三島を「ミシャイマ」と発音した。理解する気がなかったのか、語学の才能がなかったのか、わたしには分からないけれど、何よりも彼女が三島の世界観は日本文化の総括だ、みたいなことを言って、ほんとに迷惑していた。当然、その講義で友達なんてひとりもできない。
その日は、ヴォルテールの『カンディード、あるいは楽天主義説』が課題で、これはけっこう好きだったので、みんながどんな感想を抱いたのかをぼーっと考えながらバスに揺られていた。これでもかこれでもかと降りかかる災難と残酷な運命。この物語が好きな自分はどうかしてるのかもしれないと思ったところで、携帯電話が鳴った。登録されていない番号からのテキストメッセージだ。
“Hi, I’m Maggie. I see you.”
(ねえ、わたしマギー。あなたが見えるよ)
マギー? マギーという名前の人をわたしは知らない。いたずらか、間違いか。翌日も同じメッセージが届いた。恋人に尋ねたけれど、彼もマギーを知らない。次にメッセージが来たのは金曜日の夜で、彼のギャラリーオープニングに行くためにわたしはデンバー行きのバスに乗った。バスは混んでいた。わたしは最後部の端っこに座り、ヘッドフォンをつけて車窓から外を眺めた。そのとき、携帯が震えた。
「ねえ、わたしマギー。その赤いセーター、かわいいね」
エイミーもシェリーも、マギーを知らない。カーリーにも尋ねたかったけれど、彼女は二週間ほど、帰っていなかった。カーリーの部屋には、ウェールズの旗がかけてあったから、てっきり彼女はウェールズ出身で帰省しているのかと思ったけれど、実はコロラドの地元っ子で、エイミーもシェリーも行方を知らなかった。
“Hi, I’m Maggie. I see you.”
繰り返し送られてくるメッセージと、カーリーの不在が重なるような気がして、わたしはある日、アパートに誰もいないとき、カーリーの部屋に入った。カーリーの部屋には家具がない。椅子も机もベッドもない。壁にウェールズの旗がだらりとかけられ、床には所狭しに本が積み上げられ、その真ん中にヴェルヴェットのように滑らかな化学繊維のブランケットと、ベッド・バス・アンド・ビヨンドの枕があった。わたしは埃っぽい空間を進み、本の要塞の中心まで行くと、彼女のブランケットに座った。ブランケットの下でかさかさと音がした。手を入れてみると、一枚の紙きれが出てきた。
Maggie works for Paul. They want you.
(マギーはポールの配下。あんたを狙ってる)
そう紙には書かれていた。わたしは息をのみ、その場に凍り付いた。アパートには誰もいない。誰もいないはずだけれど、物音が聞こえた。暖炉の前の床は、カーペットが薄くなり、だれかが歩くと床板がきしむ。まさにその音だ。足音は階段をのぼってくる。エイミーの部屋にもシェリーの部屋にも恋人の部屋にも行かない。いちばん奥にある、カーリーの、この部屋に向かってくる。