佐賀に帰っていた。10日間ほど。母の手料理を腹いっぱい食べ、好きな服を買い、学生時代に自転車をこいでいた道を通り、昨年亡くなった恩師のことを思ったりして過ごした。体調が悪かったし、精神的にも参っていたのだけど、ゆっくりと過ごすことができてかなり回復した。ふるさとの稲刈りとバルーンと夕焼けがきれいだった。
2日前に香港に帰ってきた。体調もよくなった。同業者から投げられた石のことも、どうでもよくなった。わたしが翻訳をするのは同業者のためではないのだ。翻訳というプロセスを通して向き合いたい作品に出会うかぎり、翻訳は続ける。
「翻訳」そのものが目的であるわたしのスタイルは、たぶんこれからも変わらない。
ふっきれた。佐賀での滞在と、語学学校通学をきっかけに、自分がここ数年かなりがまんしていたことに気づいたのが大きかった。がまんせず、遠慮せず、気を遣いすぎず、やりたいようにやると決めた。子供やマイケルがどうしたいかを先に考えてしまいがちだけど、自分はどうしたいのかに耳を澄ませる時間をとる。考えてみると、先日紹介した『ソルジャー、セイラ―』も、今翻訳しているアイルランドの作品も、そういう方向にさざ波を立ててくれていたのかもしれない。
今日は九龍であっていた古着とアートマーケットに行った。香港のZINEをはじめて買った。ここ数週間は正直、書店に行く気すら失せ、書籍情報を見るのも辛かった。佐賀に帰った時も書店に行きたくなかった。でも今日、旅のできごとをつづった小さなZINEを開いて、文字列に目を走らせると、わたしの知っている香港や、行ったことのないモロッコの風が吹いてきた。この感じが好きなのだ。偶然出会って、ずっと忘れられない。あなたには会えないけれど、すごく深いところでつながっている気がするんだ。フェリーの窓から、船と波と魚を見た。
佐賀に帰る前は、香港でどんな料理をつくればいいのか分からず、あまり上手に食事ができていなかった。でも母が地元の魚や野菜で料理するのを見て、わたしも香港の料理をつくればいいのだと思った。日本やカナダの料理を無理して作らずに、新しい食材を手に取って、未知のレシピを試せばいいのだ。
それで、ダディ・ラオの料理動画を見つけた。50年間シェフとして働いたラオさんが料理をして、息子さんが動画をつくっているのだけれど、中国系米国人、もしくは移民として生きてきた苦労や思い出話なども混ぜてくれる。
今受けている仕事が終わったら、少し仕事の翻訳はお休みにして、外に出ていこうと最近は考えている。広東語をもっと勉強して、歩きたい場所がいっぱい。もっとたくさん吸収したい。
閉じるなら、翻訳はしたくない。開くための翻訳をしたい。
生活につながっている物語がわたしは好きです。