ひとりでも
香港と佐賀より
香港の書店「ハンターブックス」の書店主夫婦が逮捕された。国家安全条例違反の疑いをかけられている。今春、私の友人の書店にも捜査が入った。ブックパンチの店主の逮捕も今年だった。私の香港の友達は、書店や出版関係者が多く、独立系の書店につながりの多い人ばかりだ。今回の知らせも、友人からの連絡で知った。
「香港の外の人にできるだけ多く伝えてほしい」
ニュースのリンクをここに貼っておく。
https://news.web.nhk/newsweb/na/na-k10015159711000
私は、本は「声」だと思っている。本の翻訳から離れてZINEや規模の小さな出版のテキストを細々と訳すこの半年で、その気持ちはますます強くなった。本がそこにある限り、その「声」はそこにある。本が集まる場所は、「声」が集まる場所だ。
今回逮捕された店主は、香港の映画や小説を多く紹介し、読書会やオンラインでの交流会を開催し、とてもアクティブに香港の出版文化を盛り上げていた。「声」が集まる場所を守っていた。
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私は先週、佐賀に帰省していた。
市内を観光していたら、「戦争反対」「ガザに平和を」とメッセージを掲げてひとりデモをしている女性を見かけた。数年前にも声をかけたことがあったので、まだ変わらずに立たれているのだなと胸が熱くなりつつ、バスの時間があったので、声はかけずに通り過ぎようとした。けれどそのとき、若い男性が彼女の顔の正面にスマホをかざし、撮影しているような様子が見えた。デモの参加者が互いに撮影しているのかもしれないと思ったけれど、女性が顔を隠そうとしており、男性が至近距離でその行為を行なっていることから、女性が嫌がらせを受けているのかもしれないと思い、状況を確認するために横断歩道を渡った。
声をかける前に、自分のスマホでも撮影を開始。男性の動きを撮影しつつマイケルと女性に「大丈夫ですか?」と声をかけた。女性は少しほほえんで、「こういうことよくあるんです。大丈夫です」と言ったけれど、男性が至近距離での撮影をやめる様子がなく、口調が攻撃的だったため、そばにいることにした。男性は「公共の場でこんなことをして恥ずかしくないのですか。日本が現在どこと戦争をしているというのですか。中国と仲良くしたいならあなたが行けばいいではないですか」を繰り返すばかりだった。あまりにも同じ内容ばかりを繰り返すので、おそらく決まったスクリプトがあるのかな、と思った。
返答が彼の中でもう決まっていて変化のしようがない(変化させる意思がない)のであれば、彼の行動や発言の全ては、女性の反応を引き出すこと自体が目的であり、女性がどんな返答をしようとも同じ文言を呪文のように唱えるだけだろう。議論や理解が目的ではなく、はなから女性を脅して黙らせるために行動を続けている可能性が高い。なので、その男性とは全く言葉を交わさないことにした。聞かれたことにもいっさい答えない。女性のすぐ隣に一緒に立ち、デモともその男性とも全く関係ない話をした。「あそこの神社のクスノキに、サギがたくさんいてびっくりしました。いつの間にあんなに巣を作ったんですか?」「最近雨がひどいですね」など。
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一方で、マイケルのアプローチは違った。マイケルは穏やかに「撮影するのをやめてください。動画をアップロードしたりするときは、うつっている人の許可を取るべきです」とまずはっきりと問題を伝え、男性が「違法行為の証拠として撮影をしています」と答えたのに対して、「なぜですか? デモがどういうものか、ご存知ですか? この女性は、県庁、警察署、政府に見える場所にわざわざ立って、堂々とデモをされていますよね。みんなに伝えたいからですよ。あなたが証拠をとる必要がありますか」と尋ね返した。
彼は答えることができずに、「あなたたちはこういう行為をしているのを見て、恥ずかしくないんですか」とまた同じ文言を繰り返す。それに対してマイケルは、「あなたはどうですか。違和感を感じますか」と尋ね返した。
そう聞かれた彼は、一瞬戸惑った表情を見せ、「感じます。僕はこれは間違っていると思います。公共の場でこんなことをして恥ずかしくないのですか。日本がどこと戦争をしているというのですか。中国と仲良くしたいならあなたが行けばいいではないですか」とまた同じことを繰り返した。
わたしはマイケルに「ぜんぜんレベルの違う話をしている人だから、あんまり話しても意味ないと思うよ」と言ったけれど、マイケルは彼に「あなたの感じるその違和感が、どこから来ているか自分でしっかり考えられるといいですね」と語りかけていた。
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相手の男性は、誰かから指示を受けているようだった。ずっと電話で誰かに状況を報告し、指示をあおいでおり、女性の話だと、県外からこういう人たちが派遣されてくることが最近多くなっているそうだ。男性は執拗に撮影を続け、同じ問いを繰り返し、「こんな恥ずかしいことをやめましょうよ」と何度も何度も上から目線で女性に発話を続けていた。彼の行動、態度から、おそらく彼は平和のことなんてこれっぽっちも考えたことがないことは明確だった。挑発的な態度や言葉は虚しく響き、こちらの心は全く動かなかった。
静かに観察しながら考えていた。こちらの返答が全くないのに喋り続けるこの男性は、私たちに向けてではなく、ここにはいない他の誰かに向けてパフォーマンスをしているのかもしれない。女性に対して言葉を発しているようで、その言葉は、おそらく動画を見ている(後で見せる?)であろう誰かへのパフォーマンスであり、自分に課された役割を果たしているという「証明」をしているのかもしれない。「自分が有用である証拠」を残そうとする彼なりのパフォーマンスだったのかもしれない。なんだか、とてつもなく空っぽだ。一方で、その女性は揺るがない。静かにずっと立っている。もう何年もこういう場面があり、その度にこうやって、立ち続けてきたのだろう。
彼はなぜか自ら警察を呼んだ。「どちらが間違っているか証明してもらいましょう」と薄ら笑いを浮かべて言ったけれど、そんなもん、なんで警察に証明してもらう必要があるのだろう。まったくよくわからない行動だった。
警察官がきた。わたしは、「自分たちはただ通りかかっただけだけれど、見るからにあのお兄さんが攻撃的で、おばあさんに身の危険があるかもしれないと思ったので、一部始終録画して警察のかたを待っていました」と話した。警察官は女性と私たちから少し話を聞いて、「ありがとうございました、おかえりになって大丈夫ですよ」と言った。あの若い男性はずっと質問されていた。あんなに威勢が良かったのに、警察が来てからは静かだった。スイッチが切れたロボットのように肩を落とし、静かにしていた。
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その場をあとにしてから、いろいろと考えた。わたしが立ち止まらなかったら、警察が呼ばれることはなかったかもしれない。わたしは結果的に、彼女のスタンディングの邪魔をしてしまったのかもしれない。自分のとった行動があれで良かったのかどうか、何度も考えた。彼女は絶対にわたしたちがいなくても大丈夫だったはずだ。それは一緒に立っていて、すぐにわかった。彼女は、何があってもずっと立ち続ける人だ。マイケルと一緒に、彼女のような人が社会に与える影響の大きさについて話し合った。ひとりで立っていることを「小さなこと」「何も動かさない」と思う人もいるかもしれない。「無意味」だと。だけど、彼女が起こす日々の心のさざなみは、とても大きな力を持つ。
そこに一緒に立っていた数十分の間に、何人もの人が彼女に手を振ったり、サムズアップのジェスチャーを送ったりした。足を止めて話していく人もいた。ガザの虐殺が始まってから、帰省するたびに彼女がそこに立っていて、その存在にどれだけわたし自身、勇気づけられたかわからない。
「帰省して警察呼ばれるの、あんたくらいじゃないの」と母に言われた。そうかもしれない。全く不必要な、迷惑な行動だったかもしれない。だけど私は、あそこで素通りすることができなかった。マイケルは、子供たちに一部始終を話して聞かせていた。私は子供たちが怖がりそうで、話すべきか迷っていた。だけどマイケルは、迷いがなかった。彼の家族はドイツの出身だ。曽祖母は隣人をナチスドイツから守ろうとして、結果、亡くなった。その話を小さなころ聞いて、それからずっと、会ったこともない曽祖母が自分の中に生きているような気がするそうだ。
「今日の話をするのは、僕たちがやったことが良かったのか、他に手段はなかったのか、そういうことを考えるきっかけにもなるし、自分たちのお母さんがどういう人間なのか知るのにもいい。だけど何よりも、あそこに一人立っている彼女のことをちゃんと知らせることがぼくは大事だと思う。一人でも、自分の信念に真っ直ぐに立ち続けることの大変さ、勇気、その強さを伝えることができる」
子供たちにその強さを求める気持ちもあるけれど、失いたくなくて、心配で、怖くなる気持ちも本当。ひとりでも、守り続けたいもの。
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「ひとりでも守り続けたいもの。」
そのひとり、をだれが守るの?
その守り続けたいもの、をだれが守り続けるの?
ひとりでも。


