広島原爆ドーム前のスタンディングに行ってきました。ガザの人たちが虐殺され続けている現実を前に、どうしたらいいのか、国際社会が「社会」として存在する意義とはどこにあるのか、殺され続ける子供たち、離れ離れになる大切な人たち、思えば思うほどうずくまって動けなくなるようです。
けれどそんな中で、去年の12月からほぼ毎日、広島からスタンディングの様子を作家の吉美駿一郎さんが届けてくれていました。インスタグラムの投稿から、吉美さんが暮らしの中にスタンディングを組み込んで、そこにいることで声が集まる「場所」を築いていることが伝わってきて、帰国したら絶対にいっしょに立ちたいと思っていました。実際にお会いした吉美さんは、日々の投稿や『SFアンソロジー新月』収録の「盗まれた七五」から想像した通り、底抜けに優しい方でした。
スタンディングの場所は、広島原爆ドームの真ん前で、大きなパレスチナの旗が目印です。数種類のガザの状況が掲載されている資料や、写真、それから世界各地からの賛同のメッセージがありました。中心となっているRさんに「この場所は教育的な意義を強く意識したスタンディングで、声を張り上げるときもあるけれども、対話を重視している」と説明していただいた通り、わたしも道行く人に「カフェに行こう」と誘うような感じで、声をかけました。
それから、詩を一篇翻訳して、zineにして持っていきました。
「ガザの若者は、穏やかな死を夢見る」 モー・アルクランズ
もう逃げ場はない? ならどうすればわたしの指が
ゴミ捨て場に散らばらないようにできるだろうか?どうすれば
わたしの血が下水と混ざらないように
できるだろうか?わたしの身体が
アスファルトに溶け込まないように
できるだろうか?だれかがわたしの目を閉じるとき、首と
胴体がくっついているようにする方法は?「右を横に向けて寝かせて」
埋葬前にだれかがそう言うとき、わたしの脇腹がちゃんとあるようにするには?
わたしの欠片(ピース)が必要だ……身体のすべての部分が必要。そうしたら
ちゃんと穏やか(ピースフル)な死を迎えられるはずだから。
そんな死は、もう手に入らない。埋葬の
儀式でさえかなわない。もうすでに
真っ白な埋葬布を手に入れることすら困難で
湯灌のための木のテーブルも、喪失に
胸が引き裂かれそうになりながら隣人や友人が泣き叫ぶ声も、葬儀場にほんの少しの花を添えるためだけに招かれる聖職者たちももう、望めはしない。
そんな死はもう手に入らない。こんな状況では
ひとりきりで、ひとりきりの墓に埋葬されることすら不可能で、必ず
他の収容者といっしょだ。この状況でのわたしたちに残されているのは
非論理的な死のみだ。
非論理的な死なるものが存在するのか。醜い死は? では、美しい死はどうだろう?
確かに、血を流さない死も、身体の一部分を失わない死も、身体が損なわれない死もある。胴体と首がつながったままで魂がふわっと空に羽ばたいていく死もある。掃除人に何日もかけて運び出されなくてもいい――みかんの皮と内臓がいっしょくた――そんな死も確かにあるのだ。
出典 https://www.pleasurepie.org/articles/free-zines-about-palestine
このリンクは、無料でダウンロードできるZINEのページです。
※わたしはこの詩の訳者としての著作権を放棄します。常識の範囲内で、ガザのために使用するのであれば、印刷したり何かに掲載したりしていただいて構いません。総ルビ付きのPDFテクストもありますので、ご希望の方はご連絡いただければお送りします。
※もともとの詩も拡散希望のダウンロード可能な詩です。また、上記リンクにあるzineも現在翻訳作業中です。無料でpdf配布できるようにしたいと考えています。このリンクを知ったのは、香港でクィアzineフェスティバルに行ったときでした。zineという形で多くの人たちが声を上げていました。
※過去の投稿で、いくつかすでにガザについての詩を翻訳していて、どこかで発表したいとここに書きましたが、一篇はカナダの作家カイ・チェン・トムさん(エマ・ワトソンフェミニストブッククラブ選出作家、ラムダ文学賞トランスジェンダーフィクション部門ファイナリスト)の詩で、こちらは掲載許可の交渉中です。もう一篇は現代詩手帖の5月号パレスチナ詩アンソロジーで小磯洋光さんの翻訳で読めるヌール・ヒンディの「技巧の講義はクソどうでもいい、私の仲間が死んでいる」でした。こちらの訳詩は、原詩の最後の行がなくなっていて、それがどういう経緯なのか分からないのですが、アメリカがイスラエル支援を続けるなか、アメリカに暮らすパレスチナ系の人たちの複雑で悲痛な心情がより浮き彫りになる作品だと思います。それからもう一篇あるのですが、こちらは著者と連絡がついていません。許可が取れたら、発表したい。
この詩を選んだのは、詩人が表す「ピース(かけら)」が身体でもあり、バラバラにされていくコミュニティと、大地そのものだと感じたのと、「死」すら奪われるという概念が、嵯峨信之の「ヒロシマ神話」(『愛と死の数え唄』詩学社)という詩を思い出させ、広島にこの詩を持っていきたいと思いました。
「ヒロシマ神話」 嵯峨信之
失われた時の頂にかけのぼって
何を見ようというのか
一緒に透明な気体になって消えた数百人の人間が空中を歩いている
(死はぼくたちに来なかった)
(一気に死を飛び越えて魂になった)
(われわれにもういちど人間のほんとうの死を与えよ)
そのなかのひとりの影が石段に焼きつけられている
(わたしは何のために縛られているのか)
(影をひき放されたわたしの肉体はどこへ消えたのか)
(わたしは何を待たねばならぬのか)
それは火で封印されたニ十世紀の神話だ
いつになったら誰が来てその影を石から解き放つのだ
広島に行って、本当に少しのあいだでしたが一緒にスタンディングをして気づいたのは、道行く人たちの無関心の大きさでした。わたしはてっきり、広島でおこった原子爆弾による虐殺や、アメリカの帝国主義、日本の帝国主義が行った虐殺などと、今ガザで起こっていることを結び付けて、重ね合わせて考える人がほとんどであり、Rさんたちの活動は大きな支持を得ているのだと思っていました。けれど、ほとんどの人が目を合わせないように、気づかないふりをして足早に去っていきました。「無関心」の場合もあるけれど、いかなるメッセージであれ、それが政治的であれば「危険」とみなされて「敵視」されているように感じることもあると、Rさんが教えてくれました。自分たちは決して歓迎されているわけではないと、感じながら活動を続けてきたそうです。
広島の平和式典にイスラエルを招待する(ロシアとベラルーシは招待しない)という決断に対しても、反対する人が多いのかなと思っていましたが、「平和のためにどんな国であれ、すべての国に広島で起こったことを学んでほしい」という理由でイスラエル招待を支持する人も多いのだそうです。(長崎はイスラエルを招待しない)
けれど今、虐殺をしている国家が、過去に遠い国で起こった虐殺から学んだら、虐殺をやめるのか。逆に言えば、その国家は、過去の虐殺から学ばなかったから今、虐殺をしているのか――わたしはちがうと思います。過去の虐殺からその方法をじっくり学んで、今、虐殺を行っているのでしょう?
「平和」という言葉を使えばそれ以上は考えなくていい、批判的な視点は不要であるというような思考停止ボタンが押されるようなそんな感覚があるような気がする(最近は「対話」や「中立」にもそのような響きがあると個人的には感じていますが)という話になったのですが、わたしはそれに同意すると同時に、日本で発される「平和」という言葉にはかなり様々な、個人的で、政治的なコンテクストが付されており(自覚するにせよ、無自覚にせよ)、それがいったい何を意味するのか、どういう響きを持つのかは慎重に考察されるべきだとも思いました。
Rさんは10月からこの場に立ち続けています。蚊にたくさん刺されながら、「こんなに長い間、ここに立つことになるとは思わなかった」と悲しげだったけれど、”We’re here for Palestine”と道行く人に言い続けていた。スタンディングやデモを見て、「それでは何も変わらない」という人がいるけれど、ガザのために行うデモではとくに、「ノーマンズランド/テラノリアス/無主の地」を前提として人間を抹消し土地を奪おうとする暴力と残忍さとそれを可能にする構造に抗おうとするからこそ、「その場に居続ける」こと自体がプロテストであると感じました。
世界には、声があげれない場所がたくさんある。公の場所に行けない人もたくさんいる。
わたしは今まで、自分が住むところのせいで声をあげることを控えるべきなのかと思っていました。けれど、どんなに小さな四角でも丸でも三角でも金平糖の形でもいいから、とにかく自分にできるスペースを、じりじりと見つけていくことはできるのではないかと思えてきたスタンディングでした。
広島滞在2日目に山登りで道に迷ったわたしは(22キロ歩き)、熱中症になったため、2日目のスタンディングはできなかったのですが(その後数日間体調が戻らなかったのでみなさんも熱中症にはくれぐれもお気を付けください)、ほんとうに参加できてよかったです。ありがとうございました。
毎日夕方6時になると、大きな袋を自転車のかごにいれて、炎天下のなかあの場所に向かう吉美さんの姿を、思い描きます。そして1日も早くその必要がなくなるように、自分にできることを続けていく糧にします。