先週、友人がキュレーションしている写真展のオープニングに招待されたので、行ってきました。香港の写真家たちを支える写真工房Excellent Color Limitedが30年の歴史を閉じることになり、工房を仕切る王建賢の功績と彼への感謝を示すために、30人の写真家たちが各自2点ずつ作品を選び展示しました。展示タイトルは「隠、現ーー和香港撮影師走過三十年的展覽」です。王建賢は作品の画素を丁寧にチューニングし、光と色を立体的に再現することにたけ、多くの著名な写真家たちから「光影印匠」と呼ばれ、多くの作品を世に送り出してきました。
わたしがトロントでドキュメンタリー映画制作の会社で働いていた時のボス、ジョン・チョイが写真に長年取り組んできた技術者で、さまざまなことを現場で教えてもらいました。それでわたしは写真を見ることや撮ることがとても好きになりました。メイクや衣装、セットをきちんと揃えて表現する写真も好きですが、それよりもストリートフォトグラフィーのような偶発的な一瞬を切り取っているのに、全てが意図されて並んでいるような作品の方が好き。今回の展示では、ジャネット・チョイの火事で焼けた天井の写真に特に惹かれて、お話を伺いました。火事の後、カメラを持って現場を訪ね、煤けた天井の写真を38枚撮影し、そのうち12枚を印刷したそうです。
その彼女の作品は、王建賢によって銀色の光沢のある紙に印刷されていました。彼女のもう一つの作品、コロナ禍で閉鎖された公園のイメージは、ライスペーパーに印刷されていて、写真を印刷する紙の素材でこんなにもイメージの見え方が違うのかと驚きました。公園の作品は、日焼けした古写真のような、夢の中にいるような雰囲気で、柔らかなライスペーパーの質感がぴったり。一方で煤けた天井は銀の光沢を得て、まるで鉱石のように輝いていました。王建賢が工房を始めた理由は、自分が写真を撮ったときにきちんとイメージを再現できる人がいないと感じ、自分でやって見ようとしたことがきっかけだったそうです。
彼の話を聞きながら、写真の印刷も翻訳に似ているなと思いました。写真という一見リアリスティックな芸術でも、意味や色のトランスファーが一筋縄ではいかないのだから、フィクションの言葉を訳すときの色や影、ニュアンスをどうするのかが困難なのは当然です。彼の話に共感すると同時に、重い責任を感じました。「知者創物、巧者述之守之」が彼の座右の銘なのだそうです。わたしの中文の理解力はまだ全然なので、友人に聞いたり調べたりして理解したところ、「知のある者が造り出し、技のある者はそれを書き留め守っていく」という意味だと思います。写真に込められた「知」や「意図」を彼は守り残していく。わたしが小説を翻訳するとき、わたしは「日本語」で守り手渡すわけですが、改めてその仕事の大切さと難しさを感じました。王建賢さんと、木版画の先生の新さんには「翻訳」をテーマにインタビューを行う予定です。「香港でほんやくについて考える」と「香港ママ友街市レシピ集」を来年作りたいと計画中なのです。
○最近の仕事
タイミングよく、今週からゲラに入りました。子供たちの冬休みが始まるまでが勝負なので、そこまでになんとかしたい。今回の作品はゲラになった訳文があまりにもひどくて、王建賢さんとの会話を思い出して恥入りました。本当に目を疑うほどに、信じられないくらいひどい。考えられる理由は複数あるのですが、一番大きいのは、この作品を翻訳するときに作品の外側の要素を気にしすぎて、きちんと原文の言葉に集中できていなかったのだと訳文を読みながら思いました。おそらく今まで訳した中で一番遠慮し、緊張して訳していたし、著者の言葉をいじらないようしたのだけれど、それって結局自分が臆病で、物語を引き受けきれてなかっただけだ。まじで自分何やってんだろう。と泣きたくなるような訳文ですが、納得いくところまでなんとか持っていきたい。編集者さん、校正者さんにたくさん迷惑をかけてしまい心苦しいけれど、とにかくやるしかない。
○『喉に棲むあるひとりの幽霊』の書評
新聞などでとりあげていただいてとてもうれしいです。明日の朝日新聞朝刊、来週の佐賀新聞でもご紹介いただける予定です。これまでには図書新聞(評 竹松早智子)、週刊読書人(評 下楠昌哉)、西日本新聞(評 河野聡子)、また、空飛び猫の文学ラジオでも2回に渡って取り上げていただいています。この作品は本当にいろいろな読み方ができ、そのぶん感想もすごくばらばらで面白い。自由に読むこと、作ること、自分を失うことでとり戻すこと。再読のたびに新しい発見があり、わたしもこれから何度も読み返す作品になりました。引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
○ZINE「マギーパイ」について
ご注文いただいた分の発送が終わりました。来週末までに届かない場合はお手数ですがご連絡ください。ノートでもお知らせした通り、文学フリマの売り上げすべて(経費も引かずにまるっと)ガザに寄付しました。信用しているジャーナリストのホッサム・シャバットさんを通して、送金しました。マギーパイは日常のかけら(ピース)に平和(ピース)を見つめる、というコンセプトから始まったZINEなのでこれからも制作するときはすべて寄付したいと考えています。サポートしていただいたみなさんに心から感謝申し上げます。ありがとうございました。