東京文学フリマに出店することにした。「Maggie's Pie」という店名。『星のせいにして』の読者で勘のいい人の中には、「マグパイ(カササギ)」と関係があるのかと思う人もいるかもしれない。マグパイ、という意味もあるし、いろいろなバックスストーリーや意味が込められているのだけれど、それはまた違うところで説明したい。
今回は、香港で独立書店/サロンを主催するミシェルといっしょにいく。彼女とは木版画クラスで出会い、それから仲良くなった。彼女は香港の人で、広東語に加えて英語とドイツ語、普通語も堪能で、アートブックがとくに大好き。何かいっしょに作りたいね、とずっと話していたので、今回、香港の「康樂棋」(すごろくのようなゲーム)をモチーフにZINEを作る。
なので彼女のスタジオ兼書店で、制作作業を行っている。
彼女の書店は、古い産業工場のビル群の一角にあり、建物の外観だけ見ると、こんなにおしゃれな空間があるのが信じられないくらいおんぼろなのだけれど、賃料が低いため、アートギャラリーやスタジオとして使用する人が増えてきているんだって。場所は黄竹坑。香港仔という観光名所の埠頭の近くだけど、ミシェルのいるところは工場や整備工場のようなビジネスが未だ多い。産業排水が流れ込み、異臭を放つことで有名な川を大きな魚たちが悠々と泳いでいる。わたしの住むところからは電車を乗り継いで1時間くらい。ミシェルやトビー、そして書店を訪れる人たちと中国茶を囲んで話す時間が楽しすぎて、週2回くらい通っている。
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ブログの方に少し書いたけれど、自分がどんな指針を持って動いていても、自分が他人に扱われるままに、その形に沿うようにして自分を形成してしまうことがある。それがいい作用を及ぼすことももちろんあるのだけれど、わたしの場合、出版翻訳をしていくなかで受けた扱いはけっこう後ろ向きな作用が多かった。しかも、忙しすぎてその自分の変化にあまり気づいていなかった。わたし、何かがおかしいな、うまく声が出ないな、言葉が怖いな、自分じゃないみたいだな、窮屈だな、意地悪だなって思いながらも、よく分からずにいた。よく分からないというか、分からないふりをしてでも流れていかなければ、出版翻訳を続けていけないと自分に言い聞かせていたところがあったと思う。我慢して、見ないふりをしていれば、翻訳は続けていける。
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だけど、本当にそうかな?
翻訳を続けていくためには、もっと違う変化の仕方があるんじゃないかな?
わたしが翻訳をはじめたのは、「暮らし」に生きる物語を分かち合いたかったからでしょう?
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いろいろ考えて、今年のある日、本の翻訳やリーディングの依頼を受けるのをストップした。このままいけば、来年の春くらいでいったん本の翻訳はおやすみになると思う。自分で下した決断だけど、とても悲しくてけっこう泣いた。すごい大きな喪失を経験したようで涙が止まらず、気持ちの整理をするのに、長い時間がかかった。本の翻訳は、すごく大事で、この数年間のわたしのすべてだった。
だけど、ミシェルといっしょに本の話をしたり、マイケルと今まで書いてきた文章を読み返したり、ベクトラと広東語を勉強したり、一人の時間はジャーナリングに力を入れたりしたり、走ったり釣りをしたり、短編集を読み漁ったりしていたら、最近、なんだかやっと、こう、もぞもぞしてきた。今週、博士課程のオリエンテーションに参加する。奨学金の情報を集める。興味のある分野で仕事をしている人に面談を申し込んだ。
学びたい、つくりたい、広がりたい、潜りたい。
持続可能な方法で翻訳していくことをあきらめない。
どこにいたって、何をしていたって、他人からどんなふうに扱われたって、わたしはわたしだ。ナイーブだと言われたって、そういう在り方しかわたしにはできないのだから、もう悪あがきはしない。このままのわたしで、自由にいろいろやっていく。