今朝、昨日の特売で買った得体のしれない黄色の物体の皮をむいた。カボチャの一種だと思っていたけれど、なんだか臭いし、ぬめぬめするし、種の感じと実の質感からおそらく果物であると推察された。だけど臭い。何かが腐っているような、ドリアンに似た匂いがする。果たして食べれるのか。
およそ100円で買ったんだぞ。無駄にするものか。そう思って口にほおると、甘い。やっぱりフルーツ。そしてやっぱり臭い。調べてみると、わたしがカボチャだと思って買ったものは、よく熟れたパパイヤの実だった。パパイヤは完熟すると臭くなるらしい。ジャムをつくることにした。
近所に広東語のみでコミュニケーションをとる青果店があり、わたしは毎日そこに立ち寄る。毎日特売品がちがうし、広東語の勉強になるからだ。最近は「いくらですか」「これください」「袋が一枚必要です」などは広東語で言えるようになったし、値段の聞き取りもできるようになってきた。店の人も最初はそっけなかったけど、最近は値段を繰り返すときに嫌な顔をしなくなったし、笑顔で対応してくれる。
ただ、まだまだリスニングが弱く、語彙力もない。先日も4歳児が地下鉄の中で急にトイレに行きたくなり、次の駅で降りてトイレをさがした。「トイレはどこですか」と尋ねて、みんな広東語で答えてくれるんだけど、聞き取りができないので、答えが全然分からない! 結局5人くらいに広東語で尋ねて、広東語で答えてもらって、それでも全然分からずに、泣きそうな4歳児の手を引いてわたしまで泣きそうになってたら、スーパーからさっそうと現れたおじさんが「トイレはこっちじゃー!」って言って連れて行ってくれた。ヒーロー!!
だけどあんな思いはもうしたくないので、もっと広東語を勉強するのじゃ。
広東語は日本に帰る前に初級者コース①が終わった。そのあとも、毎日少しずつ勉強している。わたしにはまだ広東語話者の友人がいないので、言語使用範囲は店でのやり取りに限られるため、アウトプットもインプットも圧倒的に足りない。インスタグラムやYouTubeには広東語のビデオが溢れているけれど、広東語は書き言葉と話し言葉がかなり異なるので、字幕を観ながら耳を澄ませても口の動きと一致しないときがあり、今の私のレベルでは混乱するばかりだ。知りたい表現を決めて、動画の音声から音を拾い、辞書で文字と発音を確認し、メモを取ると言う地味な作業が続く。
今週で『イエルバブエナ』のゲラ、来年刊行の小説訳稿の確認、絵本の訳、アンチレイシストの論考訳が終わる予定なので、来週からまた本格的にアイルランドの作品に戻る。この作品はどっぷりつかって訳したいので、すごく忙しくなる。ただ、忙しくなると絶対に広東語の勉強をしなくなるので、プライベートレッスンの予定をいれた。初級者コースで担当してくれた先生が受け持ってくれることになり、とても楽しみ。
威圧的でなく過度に褒めず、プライベートのことは聞かず、ただ淡々と教えてくれる先生の教室はとても居心地がよく、たくさん質問できる。年代が同じ先生に教わるのもはじめてだし、友達のような感覚で接することができるのがいいのかもしれない。ただ、グループレッスンじゃなくて個人指導というのがどんな感じなのか心配ではあるが、がんばる。
先週の金曜日からヘルパーさんが週2回来てくれている。フィリピン出身のローズは、国に幼い子を置いて出稼ぎにきている。子供の写真を見せてくれて、その瞬間わたしは「I’m sorry」と言いそうになったけれど、このわたしの経験と頭で「理解した」気になっているローズの子供への思いや仕事への気持ちをわたしは知らない。ローズを勝手に憐れんでいる自分がなんだかすごく嫌になった。
香港に住むようになって、すごく思う。わたしはアメリカコロラド州やカナダはトロント、ノバスコシア、エドモントン、日本だったら東京や佐賀に住んできて、自分が接する人たちは本当に世界のいろんなところから来た人で、北米にいるときはとくに先住民の人たちにお世話になって。だけど、考え方がやっぱりユーロセントリックだよ。欧米を中心にどうしても「世界」を考えている。カナダにいたとき、「ワールドリー」という単語を使う人が結構いた。だけどそのworldlyという言葉が使われるとき、それがアジアであったりアフリカであることはめったにない。彼らの言う「ワールド」は、ヨーロッパだ。
『結晶するプリズム』で翻訳した短編が入っている『LOVE AFTER THE END』という北米先住民のSFアンソロジーがある。THE ENDって言うのは、「世界」の終りのこと、世界はとっくに終わったのだと、先住民の多くが植民地支配の暴力で世界の終わりを経験したのだと、アンソロジーを編んだジョシュア・ホワイトヘッドはアンソロジーのイントロダクションに書いた。今、ガザを見て、またたくさんの人の「世界」が終わり、「世界」が終わらせられる危機にある。わたしたちが恐れる「世界」の終わりは毎日どこかで起こっている。その世界の断絶に言葉を失う。連続性はない。そこにつながりはないように思える。
あの子の世界が終わるとき、わたしの子はサッカーボールを蹴っている。
あの子の世界が終わるとき、わたしは新しい言語を学んでいる。
あの子の世界が終わるとき、わたしの世界は続いている。
そのつながりを、わたしは見つけようとするのだけど、だけど終わってしまったら、あの子の世界をわたしはどうやって見つければいいのだろう。
北米先住民のアクティビストが、「わたしたちの世界がぶち壊され、終わらせられていたとき、もっと多くの人が助けてくれたら。声を上げてくれたら、どんなによかったか。ただ静かに暮らしを続けるのをやめてほしい。今起こっているのは、ジェノサイドだ」と言っていた。
終わったはずの「世界」からずっと終わらせずに伝え続けたものがあり、人があり、わたしたちだってそうだ。わたしの祖父の家族が原子爆弾で祖父をのぞいて全員死んだとき、あの子たちの「世界」は終わったけれど、どうしてかその終わった世界から出てきたわたしはここにいて、またちがう「世界」に生きている。
パラダイムがイデオロギーがシステムがちがう社会を移り住むわたしは、いろいろな世界をいろいろな層で見ている。この肌で感じる香港という場所の震えも。今のわたしで感じるものと、今のわたしでは察知することすらできないもの。分かりたいけれどどうしたらいいのかわからずに、わたしは言葉を学ぶのかもしれない。
「世界」などあるようでないのか。あの子の世界とわたしの世界をつなぎたくて、物語を運ぶけれど、その世界を終わらせようとする暴力の前になんとわたしは無力なんだろう。罵っても泣いても何度名前を書いても叫んでも数字を入力して送っても、その大きな力はあの子の世界を終わらせるのか。
ジェノサイドをやめろ。
ジェノサイドをやめろ。
ジェノサイドをやめろ。
「世界」を終わらせないで。
「あの子」を殺さないで。