みなさん、おはようございます! いくみです。まだ東京にいます!
引っ越し後の、子供たちの学校や保育園が決まってきて、少しずつ暮らしが見えてきたかな。とりあえずは、フルタイムで働けそう。わたしは2020年、コロナ禍中に日本にカナダから引っ越ししたのですが、そのときは託児サービスが見つからず、仕事時間を捻出するのがとても難しかった。でも、それが転機となって出版翻訳に目が向いたので、人生、何がどう作用するか分かりませんね。
さて、わたしは最近、「引っ越しブルー」です。
引っ越ししたくありません。
理由はこれ。
おでんだよ! 居酒屋さんだよ!!
週末、東京在住の姉とふたりで飲みに行きました。ふたりで飲むのは数か月に一回くらいなのだけど、大切な時間。ちなみに、この居酒屋さんは東京の上野にある「ふみ作」です。母娘で切り盛りしているこじんまりとしたお店で、すごくやさしい。やさしいし、おいしい。おでんの出汁が、祖母と同じ。かつおだしで薄味。
わたしは母子家庭で育って、祖母の料理をたくさん食べたので、姉といっしょに祖母の味に舌鼓をうつというのが、だめだったのかもしれないですね。居心地が良すぎて、離れたくない。引っ越ししたくなくなってしまった。
と、ここまで書いておいてなんですが、わたしはカナダの食事、きらいではありません。たくさんの国の食べ物があるし、ベジタリアンやヴィーガン、コーシャーなどの配慮が行き届いている場面が多いし、アレルギー品目や食品添加物についても日本より考えられているのではないかと思います。また、トロントでは移民の出身国、その人たちが住んでいた時期、移動した時期によって区画での名物がちがっていたし、先住民のレストランもかなりさかんにオープンしていました。日本で暮らしたこの三年間よりも、食べ物にひそむ政治性をひしひしと感じながら、生活していたように感じます。ひとつひとつ、口に入るものに思いを馳せることで、食事自体がより豊かになっていた気がします。(家でメロンパンを焼いたり、不便だったから挑戦したこともたくさん)。だから不思議と、日本に帰ってきたときに「日本食はいいなあ」とか「日本はやっぱりおいしいなあ」とか思わなかった。
だからそういう点での不安はあまりないのだけど(エドモントンの食文化はおそらくトロントはがらりと変わるんだろうなという不安はあるが)、やっぱり大切な人に気軽に会えなくなるのは寂しいなあ。今はオンラインでのコミュニケーションがあたりまえになっているけれど、でもやっぱり、会っていっしょに食べる、飲む、話す。それってすごく大事ですよね。ほっとできる時間。何も話さなくても、いっしょにいるだけで肩の力が抜ける時間。
だけど考えれば、このコロナ禍でカナダの義父や義母やアナさんは、わたしたちや子供たちとずっと会えなかったんだよね。三年間、孫の成長を間近で見れなかったの、寂しかっただろうなあ。そんなことを考えていたら、義父からメールが届きました。
Also, one of your soon to be neighbours (F) with two young girls is offering boots for Suzu. A is offering Lego... the universe is unfolding as it should!
(きみたちのお隣さんにもうすぐなるFにも小さな女の子がふたりいてね、ブーツを譲ってくれるっていうんだ。AもLEGOを持ってきてくれるらしい……なるようになるから大丈夫って、宇宙が言ってるみたいだね!)
そう。だから実際に向こうに行って、また新しい人と会い、大切な人たちや、もっと仲良くなりないなと思う人と、食べ、飲み、話せば、そこからまた何かがはじまるのかも。2020年に東京に来たときも、そうだったように。きっとまた、想像もしなかった世界が広がるはず。
だからあまり頭で考えすぎず、いま、感じている寂しさを抱きしめて、まずはいっぱい泣いたりしようと思っています。めそめそ。
めそめそ。
みなさんもときにはめそめそしてくださいね。
めそめそ。めそめそ。
それでは、また次回。Have a nice week!