映画監督サラ・ポーリーのエッセイ集『Run Towards the Danger— Confrontations with a Body of Memory(仮題 危険に向かって走れーー体に刻まれた記憶との対峙)』を読んでいる。
サラ・ポーリーはカナダのトロント出身で、4歳のときから俳優として活躍し、やがて自ら映画を撮るようになった。『ウーマン・トーキング』のアカデミー賞受賞と同じタイミングでの刊行となったこのエッセイ集は、彼女のこれまでの人生で考えることを極力避けてきた「危険な記憶」と対峙するものだ。全6篇。
Run Towards the Danger by Sarah Polley
Hardcover | $27.00
Published by Penguin Press
Mar 01, 2022 | 272 Pages | 6 x 9 | ISBN 9780593300350
アリス、崩壊
※レビュー内に性暴力への言及があります。
2つの収録エッセイにについて、具体的に紹介したい。最初のエッセイのタイトルは「アリス、崩壊」である。この「アリス」はルイス・キャロル『不思議の国のアリス』のアリスのことだ。
サラ・ポーリーは11歳のとき母親を亡くし、14歳で家を出るまで、家事や家のことにまったく無頓着な父親と暮らす。当時の彼女は、脊柱側弯症とその治療に苦しめられ、体を矯正する装置をつけての生活を余儀なくされていた。脊柱側弯症の治療のためには大規模な手術が必要だと分かっていたが、きちんとした保護者がいない状態で大手術の決断をするのが怖くて、ポーリーは見ないふりをしていた。
母を亡くし、体の自由を奪われた生活の中で、ポーリーが父親と『ドリームチャイルド』という映画を観る描写が繰り返し登場する。このドラマはチャールズ・ラトウィッジ・ドジソン(ルイス・キャロル)と「アリス」のモデルとなったアリス・リデルの関係を描くヒューマンドラマだ。ドジソンが少女アリス・リデルに執着し、愛情を注ぐ姿を見て、父親が感動し涙を流していたことを、ポーリーは鮮明に覚えている。
その後ポーリーは、ストラトフォード・フェスティバルで「アリス」を演じることになる。ポーリーは、父親と見た『ドリームチャイルド』のアリスを演じるつもりで、オンタリオ州ストラトフォードに向かう。そのアリスは、大人の男性の性的なまなざしにさらされる「早熟で、自分や周りのことがよく見えていて、性的で、パワフル【p.22】」な少女だった。
その際に脚本を担当した作家で教授のジェームズ・リーニーから、ドジソンは小児性愛者であった聞かされる。それを聞いてはじめてポーリーは、「アリス」の物語や『ドリームチャイルド』で自分が持った「アリス」への違和感の正体を見たような気がする(ポーリーはドジソンが小児性愛者と断言はしないものの、リーニーの発言をある程度事実として捉えているように読める【p.26】)。しかし劇のディレクターからは、物語の背景がどんなものであっても、彼女は子どもたちを喜ばせるための「アリス」を演じるべきだと指示される。
ポーリーはなんとか自分をごまかして演技をするものの、次第に「アリス」が子供を性愛の対象としてみた作家によって作り出された、しかも実在の少女をモデルに作り出された作品だという点を強く意識し、舞台に立つことに凄まじい恐怖を抱くようになる。ポーリーが指摘するように、現在「アリス」として私たちが思い浮かべる少女はブロンドの髪をしている。しかし、モデルとなったアリス・リデルは黒髪だ。少女に何が投影され、どのようなまなざしを向けられているのか。ポーリーは子役俳優という点からも自分とアリス・リデルを重ね合わせる。
一番印象的なのは、『ドリームチャイルド』を父親と鑑賞しながら、ポリーがアリス・リデルにではなく、彼女への思いを拒絶されるドジソンに共感を抱くところだ。ポーリーはドジソンを受け入れないリデルを「憎いとすら感じた」と書いている。俳優として人から見られる、性的対象として捉えられる立場に幼い頃からあり、父親のそばで育ったポーリーの視点は、大人の男性「ドジソン」の視点と合致してしまうのだ。のちに彼女は、そのように考えずにはいられない状況にした父親、周りの大人たちに憤る。
ポーリーは「アリス」を演じた。しかし結局、「アリス」を演じない選択する。公演自体は大成功で、他の公演予定も決まっていたが、彼女は脊柱側弯症の手術を口実に二度とその舞台には戻らない。背骨をまっすぐにするために保護者はいらなかった。ひとりぼっちの大手術よりも怖い物を見つければよかったのだ。
声を上げなかった女
2つ目のエッセイは「声を上げなかった女」というタイトルだ。2014年、カナダではとても有名だったラジオホストでミュージシャンのジアン・ゴメシの性加害が明らかになったとき、複数の女性が声を上げた。当時私もカナダのトロントにいたが、それはもう衝撃的で誰もがゴメシのことを話していたように思う。ゴメシといえばフェミニストでリベラルな男性の象徴のような人物だった。私もゴメシのラジオ番組が大好きだったので、かなりショックだった。
サラ・ポーリーはあのとき、公には何も言わなかった。しかしこのエッセイで彼女は、彼女自身もゴメシから性暴力を受けたことを告白している。それと同時に、なぜ彼女が声を上げなかったのかの理由も明確にしている。ゴメシの性暴力の内容はここでは書かないが、ポーリーは加害を受けたとき17歳で、ゴメシは28歳だった。ポーリーはあまりのトラウマに、そのことがなかったかのように振る舞い、ゴメシが告発されるまでメールでのやり取りも続けていた。世間でふたりは「ともだち」だと思われていた。
本エッセイではポーリーが告発しない、と決めるまでの内面の葛藤が詳細に描かれる。それと同時に、声を上げた女性たちとのやり取りも記録されている。告発したあと、法廷で何がなされるのか。「冤罪を防ぐ」という目的で、女性たちの信ぴょう性を下げるようなタクティクが用いられ、被害者たちが攻撃にさらされ「裁かれる」。性被害を訴えるためには完璧な人間でなければならないとでもいうように。ポーリーが話した弁護士たちが口を揃えて「カナダの法律は性被害に関しては世界一」と誇りながらも「だけど、愛する人が性暴力を告発しようとしていたら全力で止める」と言ったことが示すように、加害の有無を証明するために被害者が痛めつけられるいう構造が出来上がっている。ポリーがこのエッセイで綴るのは、「声をあげられない女性」たちの声であると同時に、「声を上げた女性」たちの声にならない声だ。
出版にたずさわる方へ
サラ・ポーリーさんのエッセイ集『Run Towards the Danger— Confrontations with a Body of Memory』のレジュメの作成を承ります。もし翻訳刊行にご興味があれば、お問い合わせください。
最近のこと
この数週間、サブスタックに向かえなかったのは、パートナーの看病が大変だったからです。私は元気です。まだまだ落ち着かない日々なので、これからしばらくは、読んだ本の紹介だけのエントリーになったり、配信日が前後したりと不安定な配信が続くと思いますが、のんびりと見守っていただけるとうれしいです。
【お知らせ①】
クィアSF『結晶するプリズム』6月いっぱい無料公開中です。この機会にぜひ、読んでみてください。どうぞよろしくお願いします。わたしが訳したのは、ANDWÀNIKÀDJIGAN(作:ゲイブ・カルデロン)です。
【お知らせ②】
エマ・ドナヒュー著『聖なる証』も発売中です。ぜひ読んでいただけたら嬉しいです。空飛び猫さんのインタビュー(収録日風邪をひいていたので本調子ではないけど)、森さんのポッドキャストでもご紹介いただいています。
【お知らせ③】
人生初の絵本の翻訳に挑戦した『ちいさなあおいトラックのリトルブルー』が今月末に刊行予定です。
こちらのシリーズは、『リトルブルーまちへいく』『リトルブルーときいろのバス』『おやすみなさい リトルブルー』『リトルブルーとクリスマス』と今年中に刊行を予定です。忙しい方でも読み聞かせしやすいように、編集者さんとミーティングを重ねてつくっています。お手に取っていただけたらうれしいです。
【お知らせ④】
先週『ローマ教皇フランシスコの生声』という訳書が文響社から刊行されました。こちらは訳文を仕上げたのが約3年前(本当はこれがデビュー作になるはずだった)です。もし興味があればぜひ。
さいごにとても大切なこと。
わたしはトランスジェンダーに対する根も葉もない嘘をまき散らし、悪魔化し、居場所と命を奪う人たち、そしてその人たちによる言説に強く抗議します。「女性の安全」の名のもとに、虚偽の情報を流布して恐怖や不安をあおり、差別せよと号令をかける人たちのつくる「安全」など、わたしは欲しくありません。そしてこのような言説や態度は、難民排除のそれとも酷似しています。
このような言説や実践がまかり通るのは、社会の、そしてそれを構成するわたしたちひとりひとりの問題だと思います。わたし自身学び続け、当事者の声に耳を傾け続け、建設的な情報の拡散、言葉かけなどをしていきたいです。
また、「他者」の物語を伝える仕事をする者として、言葉を学ぶだけでなく、その後ろにある考え方、政治的状況に注意を払い、学び続けていきたいと思います。
私にも見えないこと、学びが足りないところ、たくさんあると思います。お気づきの際はお手数をおかけしますが、率直に教えていただけるとうれしいです。どうぞよろしくお願いいたします。