週の真ん中ですが、体調が少しよくなってきたので書いています。先週末からまた熱が上がり、この一週間はほんとうに辛かった……。マイケルの風邪をもらったのだと思うのだけど、彼より症状がひどく出て、子供たちを学校に行かせてあげられない日もあり(香港は子供一人で通学させてはだめなので)精神的にもきつかったです。
そのなかでも少しずつ続けたのは、広東語の勉強でした。クラスを欠席しても、担当の先生が授業の要点と宿題を教えてくれて、熱があっても勉強だけはできました。熱にうなされているとき、「鐘唔鐘意」という音が頭をぐるぐる回っていたくらい。苦笑
わたしは言語を学ぶのが好きですが、広東語は英語を学んだときと同じくらいのときめきがあります。なぜなのかは多分、先生の教え方とわたしの学び方がすごく合う(派手に褒めずに淡々と・教科書にしばられない・コンテクストを外した丸暗記をしない)のと、生活の中で耳に残っている何の意味もなさない音の塊が、ある瞬間に意味を持ちだすという経験をその日にできるからです。
たとえば、香港生活を始めた当時から、お店の人に会計のとき「ヤウ、モウ、ワイユーユー?」って聞かれました。ずっと謎で、その度に首をかしげるしかなかったのですが、語学学校に行ってすぐに「有冇YUU?」なのだと変換できました。「YUUカードを持っていますか?」という意味です。そういう小さな積み重ねで、コミュニケーションが取れるようになってくるのが素直に楽しい。わたしが英語に一生懸命になれたのは、好きな洋楽の音の塊が歌詞として聞こえる感覚が楽しかったという高校生時代の経験があり、あのときと同じかなと思っています。来週で初級者コースは終わってしまい、わたしの仕事も年末にかけて忙しくなるので、また来年、中級コースを取れたらいいなと思います。クラスメイトがブラジル人建設業従事者のEさんなのですが、彼はシャイだけど、熱心に質問するのでわたしもとても勉強になります。工事現場の虹色のパラソルのことや、台風のときどうするのかとか、いろいろ教えてくれる。
だけどそれ以上に、語学学校がこんなに楽しいと思えるのはおそらく、子供の存在抜きの「いくみ」として「見てもらえる」のが本当に久しぶりだからなのかなと思いました。翻訳という仕事も「いくみ」が訳しますが、家でやってるし、社会的な労働環境ではないのでまあそんなに母である自分かどうかを意識することはない気がする。編集者さんたちと話すときはやっぱり家のことや、子供たちの話になり「お母さんって大変ですよね」という方向に話がいきがちです。保護者の集まりもそう。街を歩いていても、わたしはひとりの人ではなく、「お母さん」として見られます。義理の家族もそうです。「孫の母親」もしくは「息子の妻」。香港にはヘルパーさんが多く、「マダム」もしくは「マアム」と呼ばれることも多い。考えてみたら最後に「いくみ」として社会的な場に出たのっていつだろう?って。あんまり覚えてないんですね。
でも語学学校では、わたしは「お母さん」じゃない。「広東語を学びたいいくみ」で、それ以上でもそれ以下でもなく、言語を学ぶ過程で、必要な情報が共有される。とても小さなことです。例えば、犬が好きですか? どこ出身ですか? 好きな果物は何ですか? なんだか悲しくなるくらい、小さな質問ですよね。でもその質問がうれしい。「お子さんは何歳ですか?」「お子さんはかわいいですね」「お子さんは何語を話しますか?」ではない質問が久しぶりすぎて、新鮮だったのかもしれません。
子供を迎えに行くとき、保育士さんに「〇〇ちゃんのママ―!」って呼ばれます。それはカナダでも日本でも香港でも変わらない。わたしが抱く違和感も変わらない。せめて名字で呼んでほしい。「よしださん」じゃダメなのか。以前、同業者の方に「翻訳者ではなく母親のプロとして翻訳をチェックしてほしい」と言われたことがありました。ああここでも、わたしの翻訳という仕事の場でも、そんな言葉をかけられるんだな、そんな風に見られているんだなと思いました。けっこう傷つきました。今でも引きずっています。「母親のプロ」っていったい、なんでしょうか? そんな人、いるんですか? わたしはそんなものを名乗った覚えはございません。
わたしはあの子たちの母親であることがすきです。毎日、いろいろな表情を見て、いろいろな言葉を聞いて、感動し、喜びに胸をふくらまし、いくら抱きしめてもまだ足りないくらいの愛情を感じています。同時に、大きな責任と不安に押しつぶされそうでもあります。
今回、語学学校で新しいことを「いくみ」として学ぶ中で、その中で自分にかなり大きな負荷がかかっていたんだなと気づきました。そしてあの同業者から言われた言葉が、今でも棘となって胸に刺さっているのにも気づくことができたし、自分の暮らし方を少しずつ変えていく時期なのかなという気もしています。
これまでずっとマイケルの看病と育児を何よりの優先事項として動いてきて、その中でできる範囲で自分の大切なことを地道に続けてきたけれど、もうちょっとわがままに、自分のやりたいこと、やろうとしてもいいのかもしれない。思っていたより、いろんなことをがまんしてきたのかもしれないなと新しい出会いの中で考えました。
だからといって、何かがすぐに変わるわけじゃないんだけどね。
でも久しぶりに自分としっかり向き合えた気がする。
というご報告(?)の投稿となりました。
来週は体調が戻っていますように!