先日の文学フリマに来てくださった『星のせいにして』で出会ったAさんに、「月曜日の朝よりも金曜日の夜にサブスタックを更新してほしい」と言ってもらって、うれしかったので、金曜日の夜に更新することにしました!(Aさん、いつもありがとうございます!お会いできてハッピーでした!!)
最近は文学フリマのことばかり書いていたけれど、今回は木版印刷のことを少し。実は先月は文フリの準備と、短編集の訳了と並行して、木版印刷教室にも通っていました。5月に通った時は、韓国アーティストで教授のヨンミ・ナム先生から木版画を習ったのですが、今回はその時にアシスタントを務めていたサン先生のワークショップ。木版画ではなくて、油性インクを使ったウッドブロックプリンティング、木版印刷です。
先生は中国で木版印刷を勉強し、現在は香港のオープンプリントショップでプリント部門のディレクターを務めています。広東語のみの指導だけど、アシスタントのニコラスが日本語と英語で助けてくれる。彼は前回もアシスタントを務めていたので、クラスに戻るのがすごく楽しみでした。今回、初めてサンの作品とその技法を目の当たりにして、その技術と情熱に圧倒されたし、本当に多くのことを学ばせてもらいました。わたしの作品とサンやニコラスのことはまた今度書きます。
今回は、同じ時期にあっていた展示について。
From Distress to Hope 「從苦難見希望:黃新波木刻版畫上的現代中」というタイトルで、黃新波(1916ー1980)という中国広東省出身のコミュニストアーティストの木版画の展示があっていました。彼は魯迅を師に仰ぎ、多くの作品を生み出しました。彼の繊細で、かつ力強い線はあまりに印象的で、実際の作品の前に立ったとき、引き込まれてしまいしばらく動けませんでした。一番感覚的に好きだったのは、彼のポエティック・ピリオドと呼ばれる、静謐で寒い冬の夜のような作品群でした。
でも、胸を抉られたのは、彼が香港の跑馬地で制作した日本軍占領下の香港。この地では日本軍による虐殺がいくつも起こりました。血を売った男の苦悩、配給の列に立つ少女の虚な表情。それまでの彼の対象と距離をとった作風と違い、顔の皺を強調する叫び声のような太い線がすごく苦しかった。
説明してくれたジェニーが気を使って、「日本」という単語を使わないのがまた辛かった。日本のアーティストとも手紙のやり取りを親しくし、木版画も日本で学んだ彼は、日本軍が香港で行った残忍な殺戮と虐待と占領についてどのような感情を持ったでしょうか。香港の人たちは、本当に優しく接してくれて、不思議なくらい親日なのだけれど、ハッピーバレーだけに限らず、その当時のことを読むとあまりの残酷さに悲しみと怒りと疑問、それに罪悪感、おそらく自己弁護の衝動?など様々な感情が湧き上がる。
友人ミシェルの書店には、日本軍の行いを記した本があり、わたしが手に取ったときミシェルに「育未はその本は好きじゃないかもしれない」と言われたけれど、実はわたしは佐賀市立図書館で、その本の日本語版を読んだことがあった。日本軍に殺害された無数の人間の写真が、何点も掲載されている本です。「育未は好きじゃないかもしれない」というミシェルの言葉は、彼女からの、おそらく初めての線引き。ミシェルと育未の間に、線が引かれたその瞬間の居心地の悪さ、冷や汗、沈黙。わたしはその本を開いて、ゆっくりとページをめくったけれど、なんと言えばいいのかわからなかった。
何を話してどうなったのか分からないけれど、気がついたら、ミシェルの友達のゴードンとアーカイブを訪れる約束をしていた。戦時中の資料がたくさんある図書館を彼は知っているらしい。言語のバリアがあって、ひとりではとてもじゃないけど行こうとは思えなかっただろうし、そもそも思いつきもしなかったけれど、助けてくれる人たちがいるのがありがたい。
※ZINE「マギーパイ」の通信販売にお申し込みいただいた方、ありがとうございました。あと数冊在庫がありますが、今週末で締め切らせていただき、来週発送いたします。
昨日は忘年会、土曜の朝にじっくり読めるのいいですね!
・・・