Soldier, Sailor
タイトルを見ると、マザーグースの女の子の将来の結婚相手をうらなう言葉遊び「Tinker(鋳掛け屋)、Tailor(仕立て屋)、Soldier(兵隊)、Sailor(水兵/船乗り)、Rich man (金持ち)、Poor man(貧乏人)、Beggar man(物乞い)、Thief(どろぼう)」を連想する人もいるのではないでしょうか。マザーグースではSailorを「水兵」と訳すみたいだけど、この作品では「船乗り」の方がいい気がする。
Soldier, Sailerは、アイルランドの作家、クレア・キルロイ5作目の小説。出産を機に「自分がなくなり」小説が書けなくなったけれど、「その時期の怒り」を源に執筆した、という彼女のインタビューに共感し、読んでみました。
クレア・キルロイの出産後初作品となる本作は「ソルジャー(兵隊)」と「セイラー(船乗り)」の物語。傷つきまくり日々奮闘する母親が「兵士」であり、彼女が自分の赤ちゃん(「セイラ―」と呼ぶ)に話しかけるナラティブの小説。母親が子育てで疲れすぎているため、「信用できない語り手」とは言えるかもしれないけれど、彼女の心情が「真実」であることは、子育て経験者や、子供のケアにかかわっている人たちなら痛いほど分かると思う。赤ちゃんは船にぷかぷか乗っているイメージで、船乗りよりも、船員とかのほうがいいのかな。この訳語はもうちょっと考えたい。
フェミニズムを勉強したり運動に加わろうとするほど、「母親」になることで社会やパートナーから否応なく押し付けられる「母親」イメージと自分が抱く理想の「女性」もしくはかつての自分とのイメージが乖離し、苦しいし、争おうとするほど敵が「パートナー」になるため家庭内不和を引き起こすというテーマを、母親が「日々、母親であること」について息子に伝える形で描き切る。子育て真っ最中のわたしにとっては、身につまされる話題が多く、ホラー作品を読んでいるみたいで、怖すぎるところは読み飛ばしたくなる迫力。読みながら何度も「このどろどろした母親の心情をきちんと描いてくれてほんとにありがとう!!!」と思った。
シスジェンダー中心家父長制社会規範をもろに反映した内容で、読んでいてかなりきついんだけど、でもこれが多くの母親が直面する現実であることも確かで、読む人によっては目からうろこの作品かもしれない。
「母親」になるか、ならないか?
「母親」としてふさわしいか?
「母親」であり続けていいのか?
という問いを幼い頃から他者からされ続けることで、その裏にある女性の「あり方」に対する価値観が内面化されている。出産前は理論的に押しやり、自分なりに行動できていたことでも、「子育て」という「性別分離労働(by著者)」で子どもを(社会的、身体的に)守ろうとするなかで、ものすごい勢いで押しつけられるずっと忌避してきた価値観に吸い込まれ、出口が分からないという状況に直面する。主人公の母親は何度も「子どものためなら(自分は)死ねる」と繰り返し、自分の気持ちや体のことよりもまず子どもを優先させる。その価値観を拒絶することは、自分の居場所が奪われることのみを意味せず、子供の居場所や安全にかかわると察知するからだ。家父長制社会での「子育て」は「子ども」を人質にする形で子供のケアをする人たち(ほとんど女性※)に押し付けられていると思わずにはいられない描写がつづく。※主人公と同じ悩みを抱える育児友人は男性で二項対立の見方から、少しずつ視界が開けていく。
結局「母親」であることで社会のさまざまな場所に赴くこと、参加することを阻害され、あらゆるつながり(の可能性)が遮断される(つながるものもあるが、出産以前とは異質すぎて困惑する)。一方で、「子どもを育てる」ことをどうがんばっても「女として自然のこと」をしているとケア対象にも見なされず、少しでも手を抜けば責められ、子供に何かあれば悪いのは「男親ではなく女親」。そこは変わらずなのだ。わたしの経験に照らしても程度の差はあれ、カナダでも日本でも香港でも「ママ」主体子育てを前提とする子どもを取り巻く社会的評価は、さして変わらない。家庭内でどれだけ努力しても、「母親」に社会が要求すること、そして「母親」の社会からの消去、「母親」からの「人間的な欲求」の消去(もしくは「美化された母親像」)は容赦無く続く。
本作が優れているのは、主人公の母親が子供に夫との不和や日々の育児の大変さの「吐露」というとても小さな声の語りが、社会構造的問題を影絵のように大きくうつすところだ。わたし自身、パートナーとケンカしたときのことを思い返し、あれは実はパートナーに対してではなく、家父長制社会に怒っていたのに、彼に八つ当たりしてしまったんだと気付かされた場面が複数あった(マイケルに謝った)。怖かったり怒ったりだけじゃなくて、くすっと笑えるところがあるのもいい。必死で頑張って空回って、本人は絶望するのだけど、客観的に見たらなんとも取るに足らないことってあるよね。ダークユーモアもたっぷり交えながら、とにかく読ませます。
エマ・ドナヒュー著『星のせいにして』では「お産は女性たちの戦場」という表現が出てきたが、本作では「兵隊」として戦う女性たちに指令を出す「家父長制社会」の影がよりくっきりと描かれる。母親の内面と肉体で渦巻く「ホラー級」の痛みと恨みを受け止めてほしい。
この作品、アイルランドの作家だし、エマ・ドナヒューの賛辞があってもよさそうな作品だなと思って調べてみると、Xでドナヒューからコメントが。
Late to the party, I know, but just swallowed Claire Killroy’s Soldier, Sailor in two gulps, and it’s the most honest, wild and hilarious novel I’ve read about motherhood in many years.
(ちょっと乗り遅れてしまったけれど、クレア・キルロイのソルジャーセイラ―をふたくちでごくごく飲み切りました。母親であることを扱った小説で、こんなにも正直で、痛烈で、笑える作品を読んだのは、ほんとうに久しぶりです。)
「ブルー」な文字列
それから今週は詩集2冊を読みました。マギーネルソン著『Bluets』(Wave Books)と山崎佳代子著『海にいったらいい』(思潮社)。
青の詩集は先週からの続きで、半分くらい過ぎたところですこしずつクリックしたけど、たぶんあと数回読まないと理解できない。ただ、「青色」についてさまざまな過去の作家やアーティストの言葉を引用して考察するのはとても面白かった。とくに、プラトンが「詩と色は麻薬だから追放すべし」と言っていたことや、多くのアーティストが「色」に大きな身体的、精神的な影響を受けていたことの記述は、はっとさせられた。無意識のうちに自分の感覚の中で、大事に受け取るものと無視するものが決まっているのかな。自分の感覚がいかにあてにならないか、そして同時に、自分の感じていることをちゃんと感じてみるということがいかに大事か、なんてことを考えました。
127.Ask your self: what is the color for a jacaranda tree in bloom? You once described it to me as “a type of blue”. I did not know then if I agreed, for I had not yet seen the tree.
127.質問「満開のキリモドキの花は何色でしょう?」。あなたはその色を「ある種の青」と表現した。当時、わたしには同意のしようがなかった。その木を見たことがなかったから。
(Bluets p.50)
青色の考察文を読みながら他の作品を読んだので、自然と「青色」の記述に目が行くのね。
『海に行ったらいい』は死にゆく父親の病室で過ごす娘(著者)が書き溜めた詩をまとめたもの。とてもいいです。わたしはこれからこの本、何度も読み返すと思う。マストドンですすめてもらったのですが、自分の感性とすごく合います。
青のところだけ引用します。
骨は淡い薄紫で
花弁みたい、と娘
野山を巡り、薬草を
ドウランに入れて帰り
標本を二万点も残した人
樹精に守られていたのです
碧い光が、冬空から降り注ぎ
(「おくりびと」69ページ)
そして『ソルジャー、セイラ―』にも。
There was too much to be done to sleep or eat. Or even go to the toilet. New mothers say this in amazement, laughing like it’s funny, when it’s not funny, and we’re not laughing: we’re bewildered. We are floored. Our laughter is the public face of incredulity. We can’t even go to the toilet, ha ha! The starkness of the path was revealed as the hormones flooded out of me, a phenomenon they call the baby blues though they are not blue. They are not any colour. They are the coulor draining from your world.
すべきことに追われ、眠るひまも食べるひまもない。トイレに行くひまだってない。新米の母親たちは、驚いたように口をそろえ、まるで面白いことだとでもいうように笑っているけれど、実際は全然面白くなんてない。笑ってもいなくて、ただ、途方に暮れている。ぶったまげている。信じ切れないことを公の場で表現しようとすると、もう笑うしかない。わたしの場合、産後ホルモンが抜け切った途端、道の険しさに突然気づいた。ベイビーブルーって呼ばれるけど、青色なんかじゃ全然ない。色なんてない。あるのは、世界から抜きとられた色だ。
(Soldier, Sailer p.79)
ちょっとブルーの話ついでに、宣伝を!
昨年末から訳している絵本「リトルブルー」シリーズ、3巻目の『リトルブルーときいろのバス』が11月刊行です。このシリーズ、5冊の予定でしたが、もしかしたら6冊目までいけるかもしれない! 1冊ずつまったく作風がちがう絵本なので、表紙が好きなものから手に取っていけただけたら。
また来週!
先週末も山に登りました。The Peaks Tramという登山電車にのり、そこから砲台まで歩きました。英国軍によって100年以上前に建設された砲台です。すごく暑かったけど、自然の中を歩くのはやはり気持ちいいです。だけど足首まわりを50カ所くらい虫に刺されて、とてもかゆいです。今日たまらず薬局に駆け込みました。
ここまで書いて気づいたけど、今月ちゃんと毎週書けました!! やった!!!
(誤字脱字、変な文が多くてごめんなさい……修正し出すと時間がかかりすぎて結局送れなくなってしまい、ドラフトがどんどん溜まっていったので、とにかく書くことを今は目標にしているフェーズです)
10月も毎週書くことを目標にがんばります!
香港はまだまだ暑い日が続いています。日本、また、日本以外の場所から読んでくださっている方、気候はどうでしょうか? どうかご自愛ください。
それではまた来週ー!